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1911年(明治44)10月澁澤男の講演會


明治時代の新聞を見ていたら渋沢栄一の記事が載っていたので引用

「澁澤男の講演會」というのは「渋沢男爵の講演会」というタイトルのもよう。
wikipediaの渋沢栄一の記事によれば、1911年だと71歳で実業界から引退し始めたらしい。

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明治44年10月6日上毛新聞2面
●澁澤男の講演會
佐波教育會主宰となり男爵澁澤栄一氏を聘し(へいし)講演會を開催すべしとの説ありしが
愈よ(いよいよ)男爵も快諾され明(めう)七日午後府下王子邸發來崎(はつらいさき)さるることとなり同夜白水樓(はくすいろう)に一泊し有志の歓迎會に望み翌八日午後一時より伊勢崎尋常高等小學校女子部大講堂に措いて一ぜうの講話をなす筈(はず)なるがなほうえ蓮村下城彌一郎下城栄作れう氏の工場をも視察さるる予定なりと

明治44年10月8日上毛新聞2面
澁澤男爵來懸延期
今(こん)七日澁澤男爵來伊(らいい)の予定なりし事は既報の如くなるが男爵の都合に依り來る一四日來伊の事に変更せられたり

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「來伊」らいい は「来伊」→「伊勢崎」に来ることと思われる。

1911年(明治44年)7月3日上毛新聞 美人の自転車乗り


明治時代ふとももを出して自転車に乗っていた女性が規則違反として一圓の罰金処分された記事

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1911年(明治44年)7月3日 上毛新聞3面

美人の自転車乗り

勢多郡木瀬村六三乾物商細野眞次(しんじ)妻はな(二七)は去月(きょげつ)二十八日大胡町の道路を女だてらに自転車に乗りて走らせたるは好けれど股引(ももひき)も袴も穿(うが)たずチラチラと太股(ふともも)を露はしたるため規則違反として大胡署にて科料(くわれう)一圓(いちえん)に處分(しょぶん)
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→穿つ 袴、履き物などを身につける

明治の1円が現代の金額換算すると2万円になるという記事
明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?  野村ホールディングス・日本経済新聞社

1964年11月「群馬バスいよいよワンマン化」


1964年(昭和39年)11月23日(月)上毛新聞 7面

群馬バスいよいよワンマン化

ワンマン・バスは、かつて若い女性あこがれの職業だった車掌さんが最近はそっぽをむかれて
車掌さん不足が深刻なほか、バス会社の宿命で新車補充の設備投資がかさむ反面、ダイヤ増発や、
路線延長など利用者の希望にもこたえたい-という経営上のいくつもの欠陥をカバーする”切り札”。
同社では試験的に走らせた、前橋市内循環が好成績なので、いよいよ本格的なワンマン化に乗り出し
たものだが、(昭和)四三年までには市街地から平たん地の路線をすべてワンマン・バスを走らせる計画だ。

ワンマン化の一番の理由にされている車掌不足は、他産業と同じ中・高卒者の人手不足によるが、2、3年前
までは求人広告にどっと押し寄せた応募者が、西院は四十、五十人求めても、五、六人程度。

女の車掌さんは、大抵三-四年勤務しておヨメ入りを理由に退職するそうで、同社では給与、勤務時間などを
他社より好条件にして、穴埋めにやっきだが、朝が早かったり遅い夜勤というのが、若い人達に好かれないらしい。
このため代替要員や臨時増発などには観光バスのガイド嬢をかり出す始末だという。それ以上に、
今の小学五、六年生の女の子の数が全国で平年の九十万人の半分しかいないといわれ、
三年後に、バス会社が”戦力”に見込んでも求人難が想像以上とみられるわけ。

同社ではこの将来の見とおしから三カ年計画で、車掌のいらないバス化に手をつけたという。
当然、人件費がいく分縮小でき、この分で新車両を増やしたり、増発して結局は客サービスを向上できるというのが、またワンマン化の理由でもあり効果でもある。

(8路線記載)

現在のワンマン・バスは十円均一の短区間だが、こんどの八路線は十円から四十円までの他区間運行が特色。